歴史に輝く無駄にカッコイイ二つ名・異名【百年戦争編】

百年戦争とはイングランド王国とフランス王国との間で発生した無駄に長い戦争で「欧州的な戦闘の代名詞」とも呼べるものです。

一般的には1337年11月1日のエドワード3世によるフランスへの挑戦状送付から1453年10月19日のボルドー陥落までの約116年間の戦いを指します。

ただし、研究者によってはこの多少時期が変動するようです。
ちなみに、当然ですが100年連続ではなく休戦された時期もあります。

百年戦争と言えば、オルレアンの乙女ことジャンヌ・ダルク。
日本でもっと有名なカトリック教会における聖人でゲームや漫画に大活躍です。

今回はフランス勢力とイングランド勢力の重要人物をご紹介していきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/百年戦争

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百年戦争フランス勢力

勝利王:シャルル7世

Lehmann - Charles VII de France, le victorieux

シャルル7世
1403年2月22日~1461年7月22日

複雑な経緯で王になった人物で、彼が王位についた背景には重要人物の死、何よりもジャンヌ・ダルクの攻勢が強く影響していると言われています。

一般的にはジャンヌ・ダルクを起用し、フランスを勝利に導いた人物として有名。
ただし、同時にジャンヌ・ダルクを見殺しにした人物とされ、百年戦争を描いた作品では暗愚な国王として描かれることが多い人物です。

百年戦争後の荒廃したフランスを復興させるなど国王としての能力はけして低い人物ではありません。

異名の由来は「フランスに勝利をもたらしたこと」から来ていると思われます。
「よく尽された王」と呼ばれることもあるそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/シャルル7世

オルレアンの乙女:ジャンヌ・ダルク

Ingres coronation charles vii

ジャンヌ・ダルク
1412年頃1月6日~1431年5月30日

百年戦争の救世主であり、フランスの国民的なヒロイン。
その生涯は悲劇的英雄の代名詞とされ様々な作品で描かれています。

神のお告げを得て、当時王太子だったシャルル7世に面会。
ジャンヌは士気の低かったフランス軍を立て直し、イギリス軍からオルレアンを解放。

結果的に戴冠式を実現させ、シャルル7世が王になる道を開きます

しかしブルゴーニュ公国軍に捕らえられ、イギリス側が身元を引き取ります。
その後、異端審問によって死刑が決定。処刑されることになります。

異名の由来は当時、イングランド軍に占拠されていたオルレアンを解放したことから。

オルレアン解放はフランス軍の反撃のきっかけになり、ジャンヌを象徴するものとして異名に組み込まれたものと思われます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャンヌ・ダルク

救国の英雄:ジル・ド・レ

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ジル・ド・レ
1404年9月10日~1440年10月26日

フランス王国の貴族でジャンヌ・ダルクの理解者であり協力者という英雄の側面と、晩年の錬金術に倒錯し少年たちを好んで殺害した殺人鬼としての側面がある人物です。

「救国の英雄」としてフランス王国のために戦った男の心を蝕み、悪の道に走らせた要因はジャンヌ・ダルクの死だったと言われています。

彼の殺人は誇張(もしくは濡れ衣)だったという説もあるそうです。理由は政敵たちがジル・ド・レの失脚と財産没収を狙っていたからだと言われています。ただし、散財によって没収するほどの財産がなかったとも言われており、この部分の真偽は不明です。

もし殺人や少年ばかりを狙ったということが真実であれば、少年たちの中に「ジャンヌ・ダルクの姿」を見出していたのかもしれません。シャルル・ペローの「青ひげ」のモデルとしても有名です。

最近ではFate/Zeroという作品に登場し、異様な存在感を発揮していました。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/ジル・ド・レ

ラ・イル:エティエンヌ・ド・ヴィニョル

Xaintrailles and La Hire

エティエンヌ・ド・ヴィニョル
1390年頃~1443年1月11日

ジャンヌ・ダルクの戦友で知られる人物ですが、ジル・ド・レとは違い日本国内での知名度はあまり高くないと思います。

オルレアンでの活躍で知られ、優れた軍人として百年戦争におけるフランスの勝利に大きく貢献をしたことで知られています。

異名の「ラ・イル」とは古フランス語で「憤怒」「癇癪持ち」という意味で、彼の短気で粗暴な性格からこの異名がつけられたそうです。

フランスタイプのトランプにおける「ハートのジャックのモデル」は、ラ・イルとされており、フランス圏では非常に著名な人物だと思われます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ラ・イル

ブロセリアンドの黒いブルドッグ:ベルトラン・デュ・ゲクラン

Bertrand_Du_Guesclin

百年戦争初期に活躍をした人物で、フランスの劣勢を挽回した優れた軍人として知られます。その戦い方は大会戦を避け、夜襲や奇襲などを多用したゲリラ戦術によって勝利を治めるものでした。

傭兵のような合理性と主君に従うような強い騎士道精神を持った二面性のある人物だったようです。彼は死ぬまでフランスのために戦いを続け、フランスの大部分をイングランドから奪還しました。

異名は他にも「鎧を着た豚」という悪口のようなものもあります。人並み外れた体格と「レンヌからディナンまでで一番醜い」と言われた顔立ちから豚やブルドッグなどの異名が付いたと思われます。

その豪傑ぶりや救国の英雄という人物像が広く受け入れられ、映画や小説などではヒーローとして扱われています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ベルトラン・デュ・ゲクラン

正義の人:アルテュール3世

Arthur III de Bretagne

ジャンヌ・ダルクの支持者の一人であり、軍事的活躍だけでなく政治的な活躍においてもフランスの勝利に貢献した人物として知られています。

軍事的な改革者としても知られ「王国軍を常備制へと変換させる兵制改革」は歴史的にも意味があります。貴族にも税をかけることで結果的に王の権威は上昇し後の「絶対王政成立」の大きな要因になったからです。

信念を曲げぬ頑固さから「正義の人」という異名が付いたと思われます。実際にその頑固さから度々対立を招き、妨害活動や追放を受けています。

彼は日本人にとって馴染みの薄い人物ですが、その行動や改革は後の「ヨーロッパ覇者としてのフランス」の土台を作った人物としてフランス史に輝いています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アルテュール3世

百年戦争イングランド勢力

ジャン征服公:ジャン4世

Sceau de Jean IV - Duc de Bretagne

ブルターニュ公の座をフランス王国の貴族シャルル・ド・ブロワと争い、オーレの戦いを経て正式なブルターニュ公となった人物。オーレの戦いは「百年戦争の一部でもあったブルターニュ継承戦争」を終結させた戦いで有名です。

ブルターニュ継承戦争は、冷戦時の米ソの代理戦争的なもので、イングランドとフランスがブルターニュ公の継承争いに介入した戦争になっており、百年戦争の初期に起きた戦争です。

異名の由来はフランスのシャルル5世軍に攻めこまれ奪われていたブルターニュ公国奪還したことから付いたと思われます。他には「ジャン勇敢公」とも呼ばれたそうです。

後述するはエドワード黒太子をはじめとするイングランドとは同盟関係で、イングランドと関係の深い人物です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャン4世 (ブルターニュ公)

羊毛商人王:エドワード3世

EdwardIII-Cassell

後述するエドワード黒太子の父親でプランタジネット朝の第7代イングランド王。軍事的な改革だけでなく、経済的改革も行った偉大な王として有名な人物です。

フランス王に即位したフィリップ6世に対して、エドワード3世はフランス王位継承を主張したことで百年戦争がはじまったと言われています。百年戦争を開始した人物であり、初期においては目覚ましい活躍を見せます。

しかし、フランス王シャルル5世になると巻き返しにあい、国内のペスト問題や相次ぐ身内の死による動揺や政治的な失態などが相次ぎ不遇な晩年を過ごしました。

異名の由来は「国内の毛織物産業を大いに振興した」ことから来ています。イングランド王の紋章にフランス王の象徴である百合の花を加えたことでも有名です。

百年戦争途中までの輝かしい功績と晩年の数々の失態という二面性を持った人物です。エドワード黒太子が亡くなっていなければ「賢王」として生涯生きられたのかもしれません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード3世 (イングランド王)

Black Prince:エドワード黒太子

Edward the Black Prince - Illustration from Cassell's History of England - Century Edition - published circa 1902

エドワード3世の息子で、百年戦争初期のイングランド快進撃を支えた人物。百年戦争前期における主要な戦闘に参加し、ほとんど勝利を収めている優秀な軍人として知られています。

特に有名なものはポワティエの戦いで、フランス王ジャン2世を捕虜とする大健闘を見せ、イングランドの勝利を決定的にします。しかし、スペイン遠征の際に病気になってしまい父であるエドワード3世よりも早くに亡くなります。

エドワード3世の晩年を考えると、エドワード黒太子の死は後のイングランドにとって非常に大きな損害だったと思います。

異名の由来は「常に黒色の鎧を着ていた」という説やフランス側が残虐行為などに対して「黒(不吉・悪魔的意味合いだと考えられます)」を付けたなど諸説あるようです。

Black Prince」は適度に中二要素を持った素晴らしい異名だと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード黒太子

まとめ

歴史に輝く無駄にカッコイイ二つ名・異名【百年戦争編】いかがだったでしょうか?
今回はフランス側の人物を多めに記事を書かせて頂きました。

西洋圏の戦争は宗教・血縁・経済などが複雑に絡みなかなかややこしいです。
その「ややこしさ」が醍醐味で、調べていくのが非常に面白いのですが。

今回ははじめてひとつの歴史的な流れ(今回は百年戦争)の中だけで異名をピックアップして紹介を行ってみました!
異名がある方とない方がいるのでなかなか難しいのですが、今後もチャレンジしてみたいと思います。

次回は「関ヶ原の戦い」などをテーマにしてみたら面白いかもと考えています。
それでは、次回の記事でお会いしましょう!

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