歴史に蠢く無駄にカッコイイ二つ名・異名【ナチス編2】
今回は歴史に蠢くナチス編の第二弾!
歴史にその名を刻む、異名を御覧ください。
異名 【イミョウ】
1 本名、本来の名称以外の名。一名。別名。異称。いめい。
2 あだ名。いめい。「大酒飲みで、うわばみの―をとる」
出典:デジタル大辞泉
念のため書いておきますが、この記事に政治的意図はありません。
それでは、スタート!
目次
カッコイイ二つ名・異名集
死の天使:ヨーゼフ・メンゲレ
ヨーゼフ・メンゲレ
1911年3月16日~1979年2月7日
悪名高きアウシュヴィッツで体実験を繰り返し行なった人物。
ナチスの中でも悪名高い人物のひとりです。
ナチス親衛隊の制服と白手袋を着用し、クラシックの指揮者さながらに作業にあたったといわれ、その姿から「死の天使」の異名で恐れられたそうです。
人種淘汰・人種改良・人種の純潔などいわゆるナチス人種理論の信奉者であり、同時に体現者でもありました。
双子に特別な関心があったようで、残酷な人体実験や奇妙なエピソードが複数残っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヨーゼフ・メンゲレ
鉄人ヘルマン:ヘルマン・ゲーリング
ヘルマン・ゲーリング
1893年1月12日~1946年10月15日
国家元帥を務め、ヒトラーの後継者に指名されるなどヒトラーの寵愛を受けた人物。
第一次世界大戦ではエースパイロットとして活躍しました。
エースパイロット時代にその活躍から鉄人ヘルマンと呼ばれていました。
モルヒネ中毒者になる前は、整ったゲルマン人的な容姿に恵まれエースパイロットの過去も含めて非常に国民人気が高かったそうです。
政治的な手腕は低かったとされており、またモルヒネ中毒者であったために挙動不審だったと言われています。
ただし、戦後のニュルンベルク裁判時にはモルヒネ中毒を克服しており非常に堂々とした佇まいだったそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘルマン・ゲーリング
マルクの魔術師:ヒャルマル・シャハト
ヒャルマル・シャハト
1877年1月22日~1970年6月3日
ドイツの経済学者であり、ナチスではドイツ経済相として活躍。
ナチスにいながらナチス党員ではなかった珍しい人物です。
第一次世界大戦後のハイパーインフレに苦しむドイツを救済した人物であり、その功績はレンテンマルクの奇跡として知られています。
様々な実りある金融政策や外交的な手腕で知られ「マルクの魔術師」と呼ばれていました。
反ユダヤ主義への反発や経済政策の不一致からヒトラーと距離が生じ始め、最終的には「特殊囚人」として収容所に入れられます。
戦後は発展途上国の経済・財政に関するアドバイザーとして活躍をしました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒャルマル・シャハト
スカパ・フローの雄牛:ギュンター・プリーン
ギュンター・プリーン
1908年1月16日~1941年5月7日
Uボートエースのひとりで数々の功績で知られる人物です。
もっとも知られる功績はイギリス海軍本国艦隊の本拠地スカパ・フローに係留されていた戦艦ロイヤル・オークを撃沈したもので、異名の由来にもなっています。
プリーンの乗っていた潜水艦U47の艦橋には鼻息を荒立てる雄牛のエンブレムが描かれており、エンブレムから「スカパ・フローの雄牛」という異名で呼ばれるようになったそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ギュンター・プリーン
ルブリンの血に飢えた犬:アーモン・ゲート
アーモン・ゲート
1908年12月11日~1946年9月13日
クラクフ・プワシュフ強制収容所の所長を務め、ユダヤ人の虐殺を行うなど悪名高い人物。
囚人や部下問わず非常に冷酷だったそうです。
囚人をライフルで狙撃、遺体を飼い犬に食べさせるなど非人道的な行為を行い「ルブリンの血に飢えた犬」、「プワショフの屠殺人」という異名で恐れられていました。
戦後は数々の悪行から絞首刑になりますが、ロープが切れるなどして2度失敗。
3度目にしてようやく絶命したそうです。悪人らしい最期といえます。
スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」にも登場します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アーモン・ゲート
まとめ
無駄にカッコイイ二つ名・異名【ナチス編2】いかがだったでしょうか?
今回ご紹介したヒャルマル・シャハトが非常に面白い人物です。
彼の経済関連をまとめた書籍は複数出ているので興味のある方はぜひ!
ナチスの人物は戦後の逸話も多いので今後ご紹介していきます。
コメント
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