【超大国の闇】暗殺されたアメリカ大統領たち
新年明けましておめでとうございます。
今年もこのサイトをどうかよろしくお願いします!
新年一発目のテーマは「アメリカ大統領と暗殺」という内容です。
2017年1月20日に大統領就任を控えたトランプ氏にも暗殺の脅威が早くも囁かれています。
超大国アメリカのTOPという理由でアメリカ大統領は暗殺の危機に立たされてきました。
歴史的に見て国家のTOPが狙われることは普通で、これはアメリカに限った話ではありません。
しかし、アメリカの暗殺事件が例外的にピックアップされるのには理由があります。
「不可解で奇妙な事件」が多いのが特徴的だからです。
本日は、暗殺された4人のアメリカ大統領に関してご紹介。
超大国アメリカの暗闇を知って頂ければと思います!
目次
暗殺されたアメリカ大統領たち
第16代アメリカ合衆国大統領:エイブラハム・リンカーン
エイブラハム・リンカーン
1809年2月12日〜1865年4月15日
第16代アメリカ合衆国大統領で、奴隷解放運動や「人民の、人民による、人民のための政治」で有名なゲティスバーグ演説など日本人にとっても馴染みのある大統領だと思います。
1865年4月14日フォード劇場で喜劇を観劇中に、俳優ジョン・ウィルクス・ブースに近距離で発砲され、それが原因で死亡。犯人のブースは逃亡するも10日後に包囲されたことろで投降を拒否し、射殺されました。
暗殺の理由は「南北戦争の結果に不満を持つ、南部の支持者たちが北部の弱体化を狙った」ものとなっています。しかし、皮肉なことにリンカーンは北部の中の穏健派であり、急進派の台頭によりアメリカ国内の混乱はより顕著なものになっていきます。
1865年にシークレットサービスが誕生していますが「アメリカ合衆国大統領を護衛する専門警備部署」としてではなく、偽造通貨の横行に対しての防諜・捜査機関として誕生しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/エイブラハム・リンカーン
第20代アメリカ合衆国大統領:ジェームズ・ガーフィールド
ジェームズ・ガーフィールド
1881年3月4日〜1881年9月19日
第20代アメリカ合衆国大統領で、暗殺されてしまったことから歴代2番目に短い約半年の就任期間となった人物です。
その就任期間の短さから主だった功績がなく、日本では非常にマイナーな大統領といえます。
暗殺事件は1881年7月2日に、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.で発生。就任からわずか4ヶ月程度のタイミングでした。犯人はチャールズ・J・ギトーという人物で「神が大統領暗殺を命じた」と理由で暗殺に踏み切ったそうです。
チャールズ・J・ギトーは精神に異常があったとされており、裁判ではその奇抜な言動や行動(30歳未満の可愛いクリスチャン女性を募集する広告を出稿するなど)から二度の暗殺未遂に合うなど大衆の憎悪の対象になったようです。
個人的にはジェームズ・ガーフィールドの玄孫が、マジック・ザ・ギャザリングのデザイナーであるリチャード・ガーフィールドであることに一番驚きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・ガーフィールド
第25代アメリカ合衆国大統領:ウィリアム・マッキンリー
ウィリアム・マッキンリー
1897年3月4日〜1901年9月14日
第25代アメリカ合衆国大統領で、19世紀最後かつ20世紀最初の大統領となった人物です。
金本位制の導入、米西戦争の勝利、ハワイ共和国を併合など後のアメリカに大きな影響を与えた大統領といえます。
1901年9月6日に、歓迎会が行われるテンプル・オブ・ミュージック内で握手を求める人達の中に暗殺者であるレオン・チョルゴッシュがおり、順番が回ってきた際に発砲。マッキンリーは取り押さえられリンチを受けかけている状況を見て「誰も彼に危害を加えるな」と叫んだと言われています。
搬送後、意識不明になるも後に回復。会話や軽い食事ができるようになったそうです。しかし、病状が悪化して9月14日に亡くなりました。
レオン・チョルゴッシュは無政府主義者で、1900年7月29日、イタリア国王ウンベルト1世が無政府主義者ガエタノ・ブレーシにより銃で暗殺された事件に強い影響を受けての暗殺だったと言われています。
この暗殺事件を機に大統領の警備に関しての問題が取り上げられ、1901年に非公式にシークレットサービスが大統領の身辺警護を行うようになったそうです。シークレットサービスが正式な身辺警護機関になったのは1906年です。
彼の死後に第26代アメリカ合衆国大統領となったセオドア・ルーズベルトは、42歳と10ヶ月で大統領に就任し、現在も破られていない史上最年少の大統領となっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・マッキンリー
第35代アメリカ合衆国大統領:ジョン・F・ケネディ
ジョン・F・ケネディ
1961年1月20日〜1963年11月22日
今回ご紹介している大統領の中でもっとも知名度のある人物だと思います。
暗殺された人物としても代名詞的な存在で、暗殺の真相に関してたびたびTV番組や映画などが制作されている人物です。
第35代アメリカ合衆国大統領で、在任中にピッグス湾事件、キューバ危機などさまざなアメリカの問題に立ち向かった一方で、マフィアとの繋がりやマリリン・モンローはじめとする数多くの不倫など批判も多い大統領です。
1963年11月22日にオープンカーでパレード中に狙撃を受けて死亡。その映像はエイブラハム・ザプルーダーによって偶然撮影されており、この事件を「世界でもっとも有名な暗殺事件」としました。
暗殺者はリー・ハーヴェイ・オズワルドで、犯行後に捕まっています。しかし、逮捕からわずか2日後にジャック・ルビーによって殺害されます。
この暗殺には当初から様々な憶測が飛び交い、多種多様な陰謀説とともに語られています。
- マフィア壊滅作戦に反発したマフィア主犯説
- 軍産複合体の意を受けた政府主犯説
- リンドン・ジョンソン副大統領黒幕説
- FBI 長官ジョン・エドガー・フーヴァー主犯説
その他、対立を深めていたソ連やキューバが関与していた説などが存在しています。
これだけの陰謀説が唱えられた理由はな政府会見に「不可解な点」があまりにも多いからです。
詳しくは、下記のサイト様でご紹介されています。
1968年6月5日には、弟であるロバート・ケネディも暗殺されており、数々の不幸に襲われたことから「ケネディ家の呪い」と言う人たちもいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・F・ケネディ
まとめ
暗殺されたアメリカ大統領いかがだったでしょうか?
リンカーンとケネディの暗殺は非常に有名でご存知の方も多かったと思います。
リンカーンとケネディには不思議な共通点が多く、ミステリーとして語られることも多いです。
- リンカーンにはケネディ、ケネディにはリンカーンという名の秘書がいた
- リンカーンはフォード劇場で、ケネディはフォード車で暗殺されている
- リンカーンとケネディにはちょうど100年違いの共通点が複数存在している
https://ja.wikipedia.org/wiki/リンカーン大統領とケネディ大統領の共通点
アメリカ大統領には「テカムセの呪い」というは20年ごとに選ばれる大統領の死を呪ったものがあると言われています。
テカムセとは、インディアン部族の酋長で予言者だったとも言われる人物です。
大統領の呪い、0の呪い、20年の呪いとも言われるもので、こちらもなかなか興味深いです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/テカムセの呪い
大統領暗殺関連の歴史は非常にきな臭くて面白いのでぜひ調べてみてください!
それでは、本日はこのへんで失礼します。