歴史に輝く無駄にカッコイイ二つ名・異名【三国志・その他編】
今回はサイトで人気のあるシリーズ「異名・二つ名」記事になります。
今回のテーマは三国志の魏蜀呉以外の人物たちの異名となっています。
過去に書いた三国志の異名は下記よりご確認ください!
三国志のカッコイイ二つ名・異名集
飛将:呂布
呂布(りょふ)
?~198年
董卓に仕え、抜群の軍事力を誇った三国志を代表する武将のひとりです。
呂布のイメージは「最強」「裏切り」のふたつだと思います。三国志演義でもその点は強調され、赤兎馬にまたがり方天画戟で戦場を暴れまわる戦いの化身として描かれています。
異名の由来は武勇に優れ、馬術にも長けていたことから前漢の李広になぞらえて、同じ異名である飛将(もしくは飛将軍)と呼ばれるようになったと言われています。
裏切りを繰り返し、最終的には曹操に敗れるという最期を迎えた呂布ですが、見方を変えれば董卓を殺害するなど英雄的な側面も持ちあわせています。
フィクション作品では美男子として描かれることも多く後述する貂蝉との悲恋は、美女と美男子の組み合わせもあり人気があるそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/呂布
陥陣営:高順
高順(こうじゅん)
?~198年
上記で解説した呂布に使えた武将で、呂布を取り巻く部下としては高順、後に曹操に下る張遼、曹操から離れた陳宮と共に語られる人物です。
清廉潔白な人物で知られ呂布への忠誠心も厚く理想的な部下だったようです。呂布もその忠誠心を認めながらも、次第に疎んじるようになったと言われています。どんなに冷遇されながらも終生恨みを抱かなかったと言われています。
異名の由来は攻撃した敵を必ず打ち破る猛将だったため「陣営を陥落させる」ことから陥陣営という異名がついたと言われています。
最期は曹操によって呂布、陳宮と共に捕らえれて絞首に処せられています。
曹操陣営を苦しめた武将に関わらず「英雄記」(魏の王粲等が編纂した歴史書)ではその武勇と人格が賞賛されているそうです。敵ながらアッパレというものだったのでしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/高順
閉月美人:貂蝉
董卓暗殺を企てた絶世の美女として知られる人物です。「美女連環の計」は三国志演義では見どころのひとつとなっています。詳しくは上記の記事で紹介をしています!
https://ja.wikipedia.org/wiki/貂蝉
白馬長史:公孫サン
公孫瓚(こうそんさん)
?~199年
後漢末期の動乱で有力な将軍として頭角を現し、後に群雄として割拠した人物。三国志では袁紹との戦いが有名で「易京の戦い」で最終的に袁紹に追いつめられて自害をしています。
異名の由来は武勇に優れ、白い馬に乗馬していたことや部下の中から騎射のできる兵士を選りすぐって白馬に乗せ「白馬義従」と名付けていて、異民族から「白馬長史」と恐れられたために呼ばれたと言われています。
「易京の戦い」の舞台である易京城は10年分の兵糧を貯み、幾層もの城壁を備える堅城であったと言われています。そのようなことが可能だった理由としては、商人たちを重用し、交易などで莫大な利益を得ていたためと言われています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/公孫サン
大賢良師:張角
張角(ちょうかく)
?~184年
道教の一派である太平道の創始者で、黄巾賊という宗教組織を率いた人物です。
罪を懺悔させたり、病を癒すなどの奇跡を起こし、人々の信奉を集めたとされています。何となくイエスを髣髴とさせる人物だと勝手に感じています。
三国時代に移る転換の戦争である「黄巾の乱」を引き起こした人物であり、彼らの引き起こした黄巾の乱は「後漢の権威が地に堕ちた」ことの象徴ともいえます。
異名である「大賢良師」は自ら名乗っていたもので、権威付けのために名乗っていたものと思われます。大賢は「非常に賢い人」を指し、良師は「良き師」を指します。賢い先生、賢い指導者といった意味合いがあっと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/張角
まとめ
歴史に輝く無駄にカッコイイ二つ名・異名【三国志・その他編】いかがだったでしょうか?
前回の三国志シリーズの記事からかなり時間が経ってしまいましたが、最近久々に「蒼天航路」を読みなおしたので思わず記事として書いてしまいました。
三国志を知らなくても、知っているともっとも面白い漫画なのでぜひ、未読の方は手にとって読んでみてください。曹操が主人公という変わった三国志ですが、かなりの名作です。
それでは本日はこの辺で失礼します!