漫画みたいなスゴイ奴:テュレンヌ元帥【英雄編】
久々の「漫画みたいなスゴイ」歴史人物の紹介シリーズです。
前回はスウェーデン近代化の父:グスタフ・アドルフをご紹介。
今回はフランスの大元帥です。
第一回テーマと人物たち
アレクサンドロス3世(古代マケドニア)
ハンニバル・バルカ(古代カルタゴ)
ガイウス・ユリウス・カエサル(古代ローマ)
グスタフ・アドルフ(17世紀スウェーデン)
テュレンヌ元帥(17世紀フランス)
サヴォワ公オイゲン(18世紀オーストリア)
フリードリヒ2世(18世紀プロシア)
あの半端ないナポレオンが認めた人類史に輝く英雄七人。
漫画のキャラクターのような英雄を第一回目のテーマとして扱います。
第五回目の人物は…
フランス最高の将軍:テュレンヌ元帥
大コンテと共に17世紀フランスを代表する英雄のひとり。
史上6人しか居ない「フランス大元帥」のひとりとしても有名です。
テュレンヌ元帥概要
17世紀におけるフランスの重要な戦争を牽引した「フランス最高の将軍」と名高い人物。
太陽王ルイ14世が治めるブルボン朝最盛期の時代を作り上げた。
三行でわかるテュレンヌ元帥
- マイナスからのスタート
- もう一人の英雄
- 太陽王の時代・ふたりの英雄
マイナスからのスタート
かのナポレオン・ボナパルト曰く
「テュレンヌの天才ぶりは、年をとるごとに大胆になっていったことだ」
と語っています。
ライバルである大コンテが華やかなキャリアと才覚を放つ天才であるなら、テュレンヌは一歩ずつ確実に階段を登っていく努力の人でした。
はじめの一歩風に言うと大コンテが宮田で、テュレンヌ元帥が一歩という感じです。
虚弱体質
テュレンヌは生まれながらの虚弱体質だったそうです。
また、吃音であり生涯それは治らなかったそうです。
歴史と地理に特別の才能を見せ、幼い頃はインドアな感じです。
「英雄=豪傑」というイメージですが、ティレンヌの幼少期は英雄とは真逆でした。
偉人への憧れと現実
歴史と地理に特別の才能を見せたテュレンヌは過去の偉人に憧れていました。
特にアレクサンドロス3世とガイウス・ユリウス・カエサルに夢中になったそうです。
しかし、自身の虚弱体質から理想の英雄への道のりは遠く、現実とのギャップに悩んだに違いありません。ただ、父の死をきっかけにこの男は理想の男になるべく行動をはじめます。
軍事キャリアのスタート。そしてフランスへ…
1623年に父が亡くなると身体鍛錬に没頭。自身の虚弱体質に真っ向から立ち向かいます。
14歳の時に母方の伯父であり、軍事改革者で知られるオランダ総督マウリッツの警護を務める私兵として軍歴をスタートさせました。
オランダで陸軍大尉職への出世、特別な賞賛を勝ち取るなど順調にキャリアアップしていきます。しかし母親の強い希望によってフランス軍へ移動をします。
30年戦争の凄腕外交官とし知られるリシュリュー枢機卿に歩兵連隊大佐に抜擢され、フランス軍でのキャリアをスタートさせます。
4人の軍事的師匠
テュレンヌは軍事キャリアをスタートさせてから様々な戦場に赴きます。
彼の軍事的才覚は戦場で磨かれていくのですが特に4人から影響を受けたとされます。
- マウリッツ・ファン・ナッサウ
- ベルンハルト・フォン・ザクセン=ヴァイマル
- アンリ・ド・ロレーヌ
- ルイ・ド・ノガレ・ド・ラ・ヴァレット
組織的なオラニエ公、激しい気性のベルンハルト、勇敢なラ・ヴァレット枢機卿、頑固で抜け目のないアルクール伯のそれぞれの優れた部分を吸収し、テュレンヌは成長していきます。
家柄や本人の才能はもちろんのこと、4人の軍事的師匠に恵まれたことはテュレンヌにとって非常に幸運だったと考えられます。後に「フランス最高の将軍」となれた要因としてそれぞれ別の才能を持った師匠の存在があると思います。
オランダ総督マウリッツは、前回ご紹介した「アドルフ=グスタフ」にも強い影響を与えた人物です。軍事を軸にこの時代の背景を調べてみても面白いと思います。
もう一人の英雄
テュレンヌの又従兄弟にあたる人物で、同時代を生きた英雄であるルイ2世・ド・ブルボン。通称「大コンデ」と呼ばれる人物です。
破天荒なエピソードが多い人物で、非常に華やかな経歴を持つ人物です。
その派手過ぎる活躍からフランス王宮に謀反の疑惑を持たれてしまいます。
優れた英雄には同時代にライバルが居るものです。
大コンデは、テュレンヌとは違い華やかな天才肌のライバルでした。
凄い、ジャンプ漫画みたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ2世 (コンデ公)
天才VS努力家
テュレンヌと大コンテは、共にフランス軍でキャリアを積み、無駄に長い戦いで有名な「三十年戦争」では共に戦ってます。
その後、三十年戦争は終結し、フランスにつかの間の平和をもたらします。しかし、その後すぐに「フロンドの乱」が勃発。
重税に反感を持った貴族と民衆が蜂起をしたもので、複雑な経緯の中で、テュレンヌは王軍を指揮し、大コンテは反乱派とスペイン連合軍を率いて衝突する事態となります。
天才VS努力家というロマン溢れる戦いが実現します。この戦いの下馬評は不明ですが、天才で知られた大コンテが優勢と考える人は多かったと思います。しかし、この一連の戦いは努力家が天才を打ち破る結果に終わります。
燦然たる輝きを持って戦場に現れ、多くの戦士たちを魅了した大コンテと違い、「2、3の包囲戦と多くの戦闘」という格言を掲げた地味なテュレンヌ。
戦略上の慎重さと兵站術の精度によってもたらされる堅実な活動が天才を打ち破った最大の要因だと思います。
「テュレンヌの天才ぶりは、年をとるごとに大胆になっていったことだ」という言葉はまさに努力を怠らず日々成長し続ける、テュレンヌを非常に簡潔に説明しているものだと思います。
太陽王の時代・ふたりの英雄
太陽王ルイ14世の時代、1660年4月4日にフランス王軍の大元帥になります。歴代で大元帥は6人のみで、ティレンヌはそのひとりです。フランス軍人にとって最大のキャリアまで上り詰めたことになります。
ライバルである大コンテは、フランス・スペイン戦争終結後に、過去の罪を許されフランスに復帰しており、1672年からはじまったオランダ侵略戦争には共に戦場を駆け抜けています。
かつての友が敵になり、再び手を取り合い、戦う……王道ですが熱い展開です。
オランダ侵略戦争で、ふたりの英雄は苦戦を強いられながらも数々の勝利を手にしていきます。しかし、ザスバッハの戦いでティレンヌは敵の軍勢を視察中に大砲の砲撃に遭い戦死。64年の生涯を閉じます。彼の死はフランスに大きな悲しみと、軍事的な問題を残しました。
ティレンヌの穴を埋め、帝国軍の再進出の危機を防いだのはかつて共に戦い、一時は敵対した大コンテでした。
知将ライモンド・モンテクッコリが指揮するオーストリア軍の進撃を阻止した大コンテは、これを機会に引退。フランスのふたりの英雄は1675年に長い軍人としての生活を終えます。
まとめ
漫画みたいなスゴイ奴:テュレンヌ元帥【英雄編】はいかがだったでしょうか?
同時代に、同じ国でふたりのまったく性質の異なった英雄が居た事実。しかもそのふたりは共に戦い、敵対もするというまるで物語のような展開。だからこそ、歴史は面白いのだと思います。
華々しい天才である大コンテとは違い、地味だったテュレンヌ。そんな彼がフランス最高の将軍と言われるのは、彼の持っていた「兵士たちの信愛を勝ち取る」才能のたまものと言えます。
生涯のほとんどを軍隊で過ごし、テュレンヌの部下たちは彼を尊敬するだけでなく、同志として愛していたと言われています。
彼が作り上げた訓練を積んだ常設軍は、「個」として天才だったルイ2世を「集団」として打ち打ち破りました。その功績故にテュレンヌはフランス最高の将軍なのだと思います。
第六回目はオーストリアの名高き軍人であるサヴォワ公オイゲン。
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