【※閲覧注意】歴史に蠢く危険な二つ名・異名【犯罪者編2】
この記事は、猟奇的・暴力的内容を含みます。
閲覧の際はご注意ください。また、リンク先にショッキングな画像がある場合がございます。
人気記事としてこのサイトで常に上位に存在する「犯罪者の異名シリーズ」。
当サイトの検索ワードもなかなか物騒な感じで日々恐々としております。
日本はいま、病んでいるのかもしれない…
そんな訳で、本日は久々の犯罪者の異名シリーズになっております。
繰り返しますが閲覧注意記事となっております。
目次
危険な二つ名・異名集
時計台の狙撃手:チャールズ・ホイットマン
チャールズ・ホイットマン
1941年6月24日~1966年8月1日
1966年8月1日テキサス大学オースティン校で発生した銃乱射事件です。コロンバイン高校で発生した銃乱射事件時に、頻繁に紹介されご存知の方も多いと思います。
犯人であるチャールズ・ホイットマンは穏やかで活発、中流家庭で何不自由なく育つなど「アメリカの好青年」と言った感じで凶悪事件を起こすタイプには見えなかったそうです。
事件後も結局のところ動機は不明で、父との確執が原因、脳で見つかった腫瘍が原因など様々な説が語られています。
特徴
- 当時世界最年少のイーグルスカウトに昇進するなど多彩な人物だった
- アメリカ海兵隊で一級射手の資格を取ったのち除隊している
- 模範的なアメリカの好青年で事件を起こすタイプではない
時計塔展望台に立て籠もり狙撃によって殺人を行ったことから「時計台の狙撃手」の異名で呼ばれています。
死亡者15人を出した事件で、この事件と前年に発生した「ワッツ暴動」を契機に特殊部隊SWATが創設されたと言われています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/テキサスタワー乱射事件
ナイト・ストーカー:リチャード・ラミレス
リチャード・ラミレス
1960年2月28日~2013年6月7日
アメリカの連続殺人鬼で無差別に民家を襲撃し、暴行、レイプ、強盗を行った凶悪犯です。悪魔崇拝者を自称し、悪魔のシンボルである逆五芒星を犯行現場に残す、悪魔に忠誠を誓わせるなどを行っています。
厳格なカトリック教徒の家庭で育つも幼少期より窃盗などの軽犯罪に手を染め、後にドラッグに手を出すようになると窃盗を繰り返しながらホームレス生活を送るようになったようです。
1984年6月から一連の犯行が開始されますが、なぜ突如として強行が始まったのかは不明です。無差別に犯行を繰り返し、カリフォルニア州全体をパニックに陥れました。
特徴
- 無差別に民家を襲撃し、暴行、レイプ、強盗などを行う
- 悪魔崇拝者を自称している
- 事件現場に指紋含めたくさんの証拠を残す
恐怖を振りまいたナイト・ストーカーですが、警察の作戦や技術的なアプローチもあり追い詰められていきます。同胞に対する慈悲を期待してヒスパニック系住民が住む地区に逃げます。
しかし、期待とは裏腹に肩身の狭い思いをしていた住民たちにリンチされかけたところを警察に捕まります。
「天の助けだ。助けてくれ!俺だよ。あんたたちが捜している男は俺だ。こいつらに殺される前に俺を捕まえてくれ!」と泣き叫んでいたと言われています。
なかなか情けない最後だったようです。2013年6月7日に獄中で亡くなっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/リチャード・ラミレス
絞殺魔(ストラングラー):アルバート・デザルボ
アルバート・デザルボ
1931年9月3日~1973年11月25日
ボストン絞殺魔事件は1962年から1964年にかけてアメリカで発生した事件で、年齢問わず13人の女性が性的な暴行を受けて殺害された事件です。
犯人は「アルバート・デザルボ」とされていますが、冤罪説が80年代より根強く語られており複数の説が語られている事件でもあります。
冤罪説の背景には、有力な物的証拠がなくアルバート・デザルボの自供のみ(ただし、警察も知り得ない情報を知っていた)によって一連の事件の解決が行われたことです。
実際にアルバート・デザルボは同時期に発生していた連続婦女暴行事件(通称グリーンマン事件)の犯人として捕まり、ボストン絞殺魔事件の犯人としては裁かれていません。司法取引が行われ、グリーンマン事件のみで訴追することとなったからです。
そういう意味ではこの事件は「未解決事件」とも呼べます。実際に、アルバート・デザルボの非自然な死や発覚の経緯におかしな点があるのは事実です。
特徴
- 犯人は女性の衣服を使って絞殺を行う特徴がある
- アルバート・デザルボが犯人とされるが冤罪の可能性がある
- 一連の事件により市民の防犯意識が過剰に高まった
異名の由来は犯人が被害者を絞殺することから「絞殺魔(ストラングラー)」という名称で呼ばれました。先述したようにこの事件には不可解な点が多く冤罪が疑われています。
物的な証拠がないことは当時から問題であると言われており、解決を急いだ警察がアルバート・デザルボを犯人とすることで事件の解決をはかったとも指摘されています。
ただし、犯人しか知り合えない情報をアルバート・デザルボは知っており、犯人を知っていた、複数犯のひとりとして事件に関わっていたなど言われています。現在も真相は闇の中となっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ボストン絞殺魔事件
360人殺しのルーカス:ヘンリー・リー・ルーカス
アメリカでもっとも有名なシリアルキラーのひとりで、300人以上の殺害を行ったとされる犯罪者です。羊たちの沈黙などに登場する「ハンニバル・レクター」のモデルの1人になっています。
幼少期に母親に酷い虐待を受けていたことが原因で女性に対して強い嫌悪感を抱いたとされています。「女は存在する必要がない。だから見つければ全て殺す。」からもわかるように歪んだ女性観を持っていたようです。
300人を越すと呼ばれる被害者ですが、ヘンリーは虚言癖があったとも言われて実際の殺人数は不明です。物的証拠が残っている事件もあるので殺人事件を起こしたことは間違いがありませんが、その正確な数に関しては議論の余地があります。
特徴
- 幼少期に母親に酷い虐待を受けて育った
- 300人以上の殺人を自供しているが冤罪・虚言の可能性がある
- ハンニバル・レクターのモデルのひとりになっている
「死の腕(The Hand Of Death)」というカルト集団の殺し屋としても働いていたと語っていますが真偽は不明です。
一説では続々と新証言を話すことで死刑の時期を伸ばしていたという説や未解決の事件をヘンリーの殺人とすうことで警察側が解決をはかったなどとも言われています。
非常に質の悪い殺人鬼だったことは間違いがないようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘンリー・リー・ルーカス
ティーカップ・ポイズナー:グレアム・ヤング
グレアム・フレデリック・ヤング
1947年9月7日~1990年8月1日
イギリスの連続殺人鬼で毒物を用いた殺人を行ったことで有名な殺人鬼です。実在した毒殺魔ウィリアム・パーマーを尊敬していたとされ、使用した毒物や殺害方法が一部酷似しているといわれています。
人と関わることを好まなかったようで独学で毒などの科学、ナチズムなどの思想などを学び毒殺魔としてのスキルを高めていったようです。ターゲットになったのは折り合いが悪かった父親や継母で、継母のモリーは死亡しています。
ただし、学友や仲の良かった姉妹にも毒を使用していることから無差別に毒をばらまき、その様子を観察することを喜びとしていたと考えられています。
特徴
- 毒殺を好み、その様子を日記につける習慣があった
- 発言や文章から歴代の毒殺魔を尊敬していることがわかる
- 独房で死亡しているが他殺説。自殺説が根強く語られている
ブロードムア病院という精神的な不安点な犯罪者の更生施設に収容されていたグレアムですが、閲覧読書の制限なしなど更生どころか毒物の知識を広げることになります。
ブロードムア病院退院後も化学薬品を使用する写真店の店員職に就くなど事件後の管理が適当だったことがわかります。実際に写真店での毒殺事件が原因でグレアムは逮捕をされることになります。
この事件だけではありませんが、行政の働きかけ次第では再犯を未然に防げたケースが存在します。犯罪者をどのように扱い、更生させるのかは非常に重要なテーマといえます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/グレアム・ヤング
まとめ
歴史に蠢く危険な二つ名・異名【犯罪者編2】いかがだったでしょうか?
ヘンリー・リー・ルーカスのように有名な作品のキャラクターのモデルになっている人物は意外と多いものです。
このサイトでも羊たちの沈黙に登場した「バッファロー・ビル」のモデル:エド・ゲインとテッド・バンディなどを紹介しております。
あのキャラクターのモデルになった人物で記事を組もうと思っていますのでよろしくお願いします。それでは、本日はこの辺で。