【マーダー・インク】殺人株式会社に所属した男たち
マーダー・インク(殺人株式会社)という犯罪組織をご存知でしょうか?
ときは1930年代前半、大物マフィアのラッキー・ルチアーノを中心とした組織によって誕生した犯罪組織です。
通称であるマーダー・インクは後にマスコミによって命名されたもので、実際の組織名はなかったものと思われます。
本日はこのマーダー・インク(殺人株式会社)についてと、その構成員たちについて書いていきたいと思います!
目次
殺人株式会社に所属した男たち
殺人株式会社はなぜ生まれたのか?
ラッキー・ルチアーノは彼以前のボスたちと違い「しきたり」や「伝統」よりも合理性の追求を求めたといわれています。簡単に言えばビジネスとして犯罪を行ったということです。
「抗争はギャングのビジネスを損なう」という発想の元で、マーダー・インク(殺人株式会社)が誕生したといわれています。
- 殺人行為を規律化するため、プロの殺し屋によって組織を構成した
- 暗殺はビジネスのみに限定(恋愛や復讐など個人的なものは禁止)
- 反逆者の粛清や政府密告者の口封じが中心
- 足がつきにくいアイスピックやロープが暗殺道具として好まれた
- 本部はルイス・カポネ所有の24時間営業の菓子屋
- 給料制で週給50ドル~250ドル程度(技能や経験に応じて変化)
こう見るとまるで会社のように、明確なルールがあることがわかると思います。
まさにマーダー・インク(殺人株式会社)とは、ぴったりな名称だと思います。
それでは、構成員を解説していきたいと思います。
小さなルイス:ルイス・バカルター
ルイス・バカルター
1897年2月12日〜1944年3月4日
ラッキー・ルチアーノの腹心で、マーダー・インク(殺人株式会社)のリーダーです。
異名の小さなルイスは幼少期に母親が呼んでいたあだ名にちなむそうです。
温厚な顔立ちで穏やかな声、家族と過ごすことを好み、部下たちに優しかったそうです。また普段は遠慮がちで、一般的にイメージするマフィアとはかけ離れた人物だったそうです。
しかし、ビジネスを円滑に行うためには暴力を一切躊躇しないという側面も持ち、マーダー・インク(殺人株式会社)のリーダーになる前からも数多くの犯罪を実行しています。
何度も警察の調査を受けながらも、処刑業務を100件以上取り仕切ったと言われ、かなり丁寧に殺しの仕事をしていたと言われています。
しかし、組織の崩壊は突然やってきます。死刑を怖れたエイブ・レルズが司法取引を持ちかけ、マーダー・インク(殺人株式会社)の存在が公となります。
最終的には電気椅子により処刑。アメリカのギャングの大物ボスで死刑になった最初で最後の人物といわれています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルイス・バカルター
マッドハッター:アルバート・アナスタシア
アルバート・アナスタシア(本名:ウンベルト・アナスタージオ)
1902年2月26日〜1957年10月25日
マーダー・インク(殺人株式会社)の副リーダーでニューヨーク・マフィアの黄金時代を作った人物のひとり。
異名のマッドハッター(帽子屋)は「気が狂いっている」という意味で使われる言い回しで素手で殴り殺すことを好んだという逸話からきています。
約30年の間に少なくとも10回の逮捕歴があり、そのうちの5回が殺人容疑という人物で、凶暴さと残忍さを持った典型的なギャングでした。
しかし、近所付き合いでは礼儀正しい愛想の良い人物だったそうです。
マーダー・インク(殺人株式会社)発覚後は、エイブ・レルズが証言の当日朝にホテル6階から転落死したため、訴追を免れました。警察は自殺と処理したそうです。
最期は理髪店で暗殺され、タブロイド紙には「死刑執行人が死刑に処された」と書かれたそうです。なかなか皮肉が効いていますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルバート・アナスタシア
キッド・トゥイスト:エイブ・レルズ
エイブ・レルズ(本名:エイブラハム・レルズ)
1906年5月10日〜1941年11月12日
マーダー・インク(殺人株式会社)でもっとも恐れられた殺し屋といわれた人物です。
異名の「キッド・トゥイスト」は20世紀初頭に暗躍したユダヤ系ギャングのマックス・ツヴェルバッハのあだ名にちなむとも、好んで食べたキャンディからとも言われています。
背が低くまるで子どものように見えたそうですが、非常に凶暴で典型的なステレオタイプ的なギャングだったそうです。
1940年2月に麻薬取締法違反、住居侵入、暴行、強盗、殺人の容疑で逮捕されます。レルズは死刑を逃れるために、司法取引を行います。
そして、マーダー・インク(殺人株式会社)が公になり、社会に衝撃を与えます。レイズの供述によりルイス・バカルターは処刑されます。
しかし、アルバート・アナスタシアまで失いたくなかったルチアーノはレイズの殺害を実施。証言の当日朝にホテル6階から転落死します。典型的な口封じによる殺害でした。
マーダー・インク(殺人株式会社)は彼の作ったギャング団が原型といわれています。ある意味では、生みの親であり、トドメをさしたともいえます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/エイブ・レルズ
“ラッキー”チャールズ・ルチアーノ:ラッキー・ルチアーノ
ラッキー・ルチアーノ(本名:サルヴァトーレ・ルカーニア)
1897年11月24日〜1962年1月26日
イタリア系犯罪組織マフィア(コーザ・ノストラ)の最高幹部であり、組織改革者。古い体質を刷新し、アメリカ的な合理性を犯罪組織に持ち込んだ人物。
拷問を受け瀕死の状態で発見されるも奇跡的に生還をはたします。その強運から「ラッキー・ルチアーノ」というあだ名で呼ばれるになったそうです。
マーダー・インク(殺人株式会社)の生みの親であり、組織の理念である「縄張り争いは各々のビジネスを損なう」は彼の思想を反映しています。
全米犯罪シンジケートを構築し、アメリカを追放されてからも麻薬コネクションを形成し、暗黒街を大いに富ませました。
積極的な賄賂で警察の捜査を遮断し、政界との癒着を深め、組織を守るという現在の犯罪組織のベースを作った人物です。
悪人であることは間違いありませんが、犯罪界にとっての改革者であったことは間違いありません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラッキー・ルチアーノ
まとめ
殺人株式会社に所属した男たちいかがだったでしょうか?
どの世界、時代にも改革者は存在しています。そして残念ながらそれがすべて社会にとって幸福とは限りません。
ラッキー・ルチアーノもマーダー・インク(殺人株式会社)もその典型といえると思います。
また、歴史的背景なくしてこのような組織は誕生しません。
- アメリカへの移民増加
- ムッソリーニのマフィア追放
- 禁酒法
- 第二次世界大戦
様々な歴史的な要因が出来事には関わっています。
当時の時代背景や流れを知ればより歴史が面白くなると思います。
今回の記事で少しでも興味を持たれた方はぜひいろいろと調べてみてください!
知っているようで知らなかった歴史の面白い部分が顔を覗かせるはずです。
それではまた次回の記事で!