無駄にカッコイイ歴史の事件・作戦名【ナチス・ドイツ編】

新シリーズとして歴史に輝く「事件・作戦名」を記事にしていこうと思います。
記念するべき第一回目は「ナチス・ドイツ」の事件・作戦名を5個ご紹介!!
名称だけではなく、簡単な事件・作戦の概要も解説しております!
ナチス・ドイツの事件・作戦名
長いナイフの夜事件
名称:長いナイフの夜事件
時期:1934年6月30日~7月2日
国家社会主義ドイツ労働者党が行った大規模な粛清事件の名称です。粛清の対象は主にSA(突撃隊)で、その他、ナチ党の敵と見なされた人物たちが粛清されました。
ヒトラーと友人のような関わりをしていたエルンスト・レームをはじめとするSA幹部、党内左派のグレゴール・シュトラッサーなどが裁判なしで粛清されました。上の写真は殺害されたエルンスト・レームです。
事件の名前の由来は「5世紀ウェールズでのザクセン人傭兵による、ブリテン人への宴席での長いナイフを使った騙し討ち事件」から取られたとされています。
この事件によってナチ党内ではSA(突撃隊)の下部組織であったSS(親衛隊)が独立、発展していきました。また、ソ連のスターリンは「ヒトラーという男はすごい奴だ!奴は政敵をどう扱えばいいかを我々に見せてくれた!」と賞賛したそうです。
時期的にもスターリンの粛清はこの時期から始まっており、後の大粛清の遠縁になったとも言えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/長いナイフの夜事件
水晶の夜
名称:水晶の夜事件
時期:1938年11月9日~10日
ドイツ国内で発生した反ユダヤ主義の暴動事件で、この事件をきっかけにドイツ国内のユダヤ人の立場は大幅に悪化したと言われています。
水晶の夜事件はドイツの一般市民が自然発生的に起こした事件ではなく、ナチ党が関与した「官製暴動」という指摘がされています。
宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルスと国家保安本部(RSHA)のラインハルト・ハイドリヒが中心になり関わった可能性が高いと言われています。
事件の名前の由来は「破壊されたガラスが月明かりに照らされて水晶のようにきらめいていた」ことを見て、ヨーゼフ・ゲッベルスが命名したと言われています。
この事件は強制収容所の拡大、ユダヤ人の学校通学の禁止、ユダヤ人夜間外出禁止命令など国内のユダヤ人たちの立場を悪化させていくことになり、最終的にはホロコーストへと繋がっていきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/水晶の夜
ゼーレーヴェ作戦
名称:ゼーレーヴェ作戦
時期:1940年10月12日に事実上中止
第二次世界大戦中にナチス・ドイツが計画したイギリス本土上陸作戦の名前です。ゼーレーヴェはドイツ語で「あしか」を意味した言葉で「シーライオン作戦」とも呼ばれます。
フランスを制圧した後に、ヨーロッパの主敵となったイギリスを降伏させるために作戦は計画されました。
しかし前哨戦であったイギリスの制空権の獲得のため行われた「バトル・オブ・ブリテン」の失敗やドイツ海軍の対潜水艦や駆逐艦の不足から最終的には実行されませんでした。
平野耕太さんの漫画「HELLSING」では作中で第二次ゼーレヴェ作戦が行われイギリスが比較的滅茶苦茶になります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/バトル・オブ・ブリテン
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゼーレーヴェ作戦
バルバロッサ作戦
名称:バルバロッサ作戦
時期:1941年6月22日~12月初旬
第二次世界大戦中にナチス・ドイツによって行われたソビエト連邦奇襲攻撃作戦の名前です。現在では独ソ戦の序盤の戦闘の総称として呼ばれるケースもあるそうです。
名称の由来は神聖ローマ帝国皇帝だったフリードリヒ1世の異名「赤髭(バルバロッサ)」から来ています。上の画像はフリードリヒ1世を描いたものです。
帝国の危機に復活するという伝説にあやかってこの名称になったと言われています。
ソ連のスターリンは「独ソ不可侵条約の有効性を信じドイツの攻撃意図を看過ごした」と言われており、完全な不意打ちとしてバルバロッサ作戦は開始されます。
ヒトラーはフランス、ポーランドの成功からソ連に対してかなり甘い見積もりをしていたと言われています。短期決戦を目論んだヒトラーの作戦は失敗し、総力戦となりスターリングラード攻防戦による敗北は独ソ戦の流れを大きく変える敗北でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/バルバロッサ作戦
ツェルベルス作戦
名称:ツェルベルス作戦
時期:1942年2月中
ナチス・ドイツによって第二次世界大戦中に行われた「危険なイギリス海峡を通って戦艦や巡洋艦がドイツ本国への帰還する」作戦の名前です。
ツェルベルスとはギリシャ神話の三つ首の魔獣「ケルベロス」のドイツ語表記です。また、イギリス海峡をダッシュしたことから「チャンネルダッシュ 」 とも呼ばれています。
この作戦は白昼堂々と行われ、イギリス海軍の面子を完全に潰すものでした。イギリス海軍は非難され大問題となったそうです。
しかし、この作戦は連合軍の制海権を脅かすものではなくナチス・ドイツは戦術上の勝利はあっても戦略上の勝利ではなかったといわれています。
この際に「強運の巡洋艦」として名高い重巡洋艦プリンツ・オイゲンもドイツ本国への帰還に成功しています。プリンツ・オイゲンは戦後、ビキニ環礁で原爆実験の標的となったことでも有名です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ツェルベルス作戦
まとめ
無駄にカッコイイ歴史の事件・作戦名ナチス・ドイツ編いかがだったでしょうか?
ドイツ語で聞くと無駄にお洒落に感じる罠。
ヤフー知恵袋の質問のベストアンサーでは、ドイツの作戦名の由来や名称付け時の方向性などに関して回答されています。気になる方はぜひ、見てみてください!
「事件・作戦名」は今後、異名シリーズと平行して記事を書いていきます。
楽しみにお待ちください。それでは本日はこの辺で!