【1871年】ドイツ統一を成し遂げた立役者たち

画像引用元:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wernerprokla.jpg?uselang=ja

日本でドイツ統一と言えば、ベルリンの壁崩壊を発端とする1990年10月3日に起こった西ドイツと東ドイツの統一を想像される方が多いと思います。

しかし諸外国、特にヨーロッパでは1990年の統一は「ドイツ再統一」であり、ドイツ統一と言えば国王ヴィルヘルム1世をドイツ帝国の皇帝として戴くことを決め、ドイツ人の統一国家が成立した1871年を指すそうです。

本日は、1871年ドイツ統一で活躍した立役者たちをご紹介!
教科書で見たことある人物もちょっとマイナーな人物も合わせてご紹介します。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ドイツ統一

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ドイツ統一の立役者たち

榴弾王子:ヴィルヘルム1世

Kaiser Wilhelm I.

ヴィルヘルム1世
1797年3月22日~1888年3月9日

初代ドイツ皇帝で、下記のビスマルクと共に教科書で一度は名前を聞いたことがある人物だと思います。1871年の普仏戦争の勝利でドイツ皇帝に即位してドイツ統一を達成した人物で、その誠実な人柄から広く尊敬されていたそうです。

ビスマルクの傀儡として語られることが多い人物ですが、下記で紹介しているモルトケの採用など軍事方面での改革はヴィルヘルム1世によって行われており、ビスマルクの軍事的成功はヴィルヘルム1世なくして成立しなかったと言われています。

異名である「榴弾王子」は、剛直な武断派として自由主義者を弾圧した経緯から。軍人気質の騎士的心情の持ち主だったようで、その気質ゆえに最後までビスマルクとは気が合わなかったようです。

ローンが剣を研いで準備し、モルトケがこの剣を振るい、ビスマルクは外交で他国の干渉を防いでプロイセンを今日の勝利に導いた」という言葉は彼を象徴するもので、他人に対する気遣いを忘れない謙虚な人物だったことを非常によく表しています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)

鉄血宰相:オットー・フォン・ビスマルク

Bundesarchiv Bild 146-2005-0057, Otto von Bismarck

オットー・フォン・ビスマルク
1815年4月1日~1898年7月30日

この時代におけるもっとも有名な人物のひとりで、教科書で一度は名前を聞いたことがある人物だと思います。ドイツ統一の中心人物であり、19世紀後半のヨーロッパに「ビスマルク体制」と呼ばれる国際関係を構築したことでも知られています。

鉄と血によってのみ解決される」という軍拡の必要性を訴えた「鉄血演説」は非常に有名で、その演説から後に鉄血宰相という異名で呼ばれることになります。

その様々な活動からビスマルクの評価は非常に差があると言われています。保守主義・伝統主義から見ればビスマルクはドイツ統一の文字通り英雄であり、最高の評価と共に語られます。しかし敵対した社会主義・自由主義から見れば「後のヒトラーに繋がる人物」として危険人物と評価しています。

様々な評価の中ではっきりとしていることは、ビスマルクはドイツ統一の中心人物であり、彼なくしてドイツ統一は不可能だったという点でしょう。妻への愛情や意外と失敗やうっかりが多い人物像など個人的にビスマルクは「人間」として非常に魅力的だと感じています。

政治とは歴史の中に残された神の足音に注意深く耳を傾け、その歩調に自らの歩みを合わせるものである」というビスマルクの言葉は彼が一流の政治家であったことの証明だと思います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/オットー・フォン・ビスマルク

ビスマルクの朋友:アルブレヒト・フォン・ローン

Albrecht von Roon Günther BNF Gallica

アルブレヒト・フォン・ローン
1803年4月30日~1879年2月23日

プロイセン陸軍大臣として国王ヴィルヘルム1世の軍制改革や朋友であるビスマルクを支えた人物です。上記のふたりと比べると日本国内での知名度はあまり高くありませんが、ドイツ統一に関わる3つの戦争の勝利に貢献した人物として評価をされています。

ビスマルクに宰相の道を開いた人物で、ビスマルクの成功の立役者のひとりです。気さくな性格で冗談好き、義務感が強く誠実な人物でヴィルヘルム1世はビスマルクとは違いローンを「一緒にいると楽しくて不思議とくつろぐ」と評価しています。

ビスマルクとの関係は良好だったようですが、彼の「目的のためには手段を選ばない」というスタンスにはしばしば否定的な発言をしており、苦々しく思っていたようです。また、後述するモルトケとは性格が合わなかったそうです。

ドイツ統一の立役者であるビスマルク、ローン、モルトケは非常に奇妙なバランスの上に成り立った、ある意味では奇跡的な関係があったように思います。ひとつの目的のために互いの能力を信じていた点はわかっており、この点が調べるほどに面白いです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アルブレヒト・フォン・ローン

偉大なる沈黙者:ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ

Helmuth Karl Bernhard von Moltke

ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ
1800年10月26日~1891年4月24日

近代ドイツ陸軍の父と呼ばれ、最終的には元帥まで上り詰めた人物。対デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争を勝利に導き、ドイツ統一に軍事面から多大な貢献をした人物で知られています。

モルトケは「戦争は全てが不確実であり、確実なのは意志と実行力だけである。それが将帥の資産である。」と語り、戦争に公式や一般原則はないというスタンスを持っていたそうです。そのため、軍事の常識に固執せず、鉄道と電信を積極的に軍事利用しようとしたなど非常に柔軟な発想を持っていました。

上記したようにあまりビスマルクとは馬が合わなかったようですが、ビスマルクはモルトケのことを「モルトケは生涯にわたって全てのことについて節度を心得ていた。」と語るなど、高い能力に対して信頼をしていたようです。モルトケもビスマルクの多正面作戦を常に阻止してくれる政治手腕を高く評価していたと言われています。

ドイツ統一を成し遂げたその手腕からモルトケは当時の軍隊から高い評価と羨望を持たれていたようです。日本でもモルトケの弟子であるクレメンス・メッケル少佐の協力を得てドイツ式軍制の導入が行われました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ

魔臣:ルートヴィヒ・フリードリヒ・レオポルト・フォン・ゲルラッハ

Ludwig von Gerlach 001

ルートヴィヒ・フリードリヒ・レオポルト・フォン・ゲルラッハ
1790年9月17日~1861年1月10日

今回ご紹介する人物の中でもっともマイナーな人物です。プロイセン王国の政治家、将軍でヴィルヘルム1世の兄であるプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世を支えた忠臣として知られています。

ビスマルクの才覚を見出し、彼を政治家として育て上げた人物で、ビスマルクが唯一生涯で「師」と仰いだ人物だと言われています。ビスマルクに与えた影響や当時のプロイセンに対する影響力や行動からもっと評価されてもよい人物だと思います。

異名である「魔臣」はフリードリヒ・ヴィルヘルム4世に対するあまりにも強い忠誠心から名付けられたと思われます。最期は殉死に近いかたちで亡くなっています。

ちなみに、このサイトでは二回目の紹介になります。よろしければ「歴史に輝く無駄にカッコイイ二つ名・異名【海外編】」の記事もどうぞ!

https://ja.wikipedia.org/wiki/ルートヴィヒ・フリードリヒ・レオポルト・フォン・ゲルラッハ

まとめ

ドイツ統一の立役者たちいかがだったでしょうか?
ビスマルクは教科書で見たことがある人も多いと思います。

ビスマルクは明治日本に非常に大きな影響を与えたとされた人物です。後発の小国が成り上がるすべを心得ていたビスマルクを「師」と仰ぐ政治は多く、伊藤博文は「日本のビスマルク」という異名で西洋諸国に認知されていたそうです。

大好きなやる夫で学ぶシリーズのビスマルクを扱ったものです。
未完の作品ですが、当時のヨーロッパ情勢やビスマルクの人となりが非常によくわかります!
導入に持って来いなのでぜひ、楽しんでみてください。

それでは、本日はこれで失礼します。

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