【伝説・神話・実話】英雄たちが愛した名馬たち
当サイトで度々扱っている「動物記事」本日は英雄たちが愛した名馬というテーマで書いていきたいと思います。
人類と馬の関わりは古く紀元前4000年から3000年あたりでは家畜化が行われ、車が登場するまでは主要な乗り物として様々な場面で使われてきました。
そんな人類史と関わりが強い馬ですが、当然、歴史に輝く英雄たちも馬を利用してきました。本日は英雄たちが愛した名馬たちを5頭ピックアップして解説していきたいと思います!
英雄たちが愛した名馬たち
征服王アレクサンドロス3世の愛馬:ブケパロス
征服王アレクサンドロス3世が愛した名馬で、ブケパロスやブケファロスなどの名称で呼ばれています。英雄の馬だけあってアレクサンドロス3世と同じく様々な伝説と共に語られています。
品種や性別に関しては諸説あるそうで、角が生えていた説など様々なエピソードが残っています。ブケパロスという名前は額の模様が牛の角のかたちだったため「ブーケパロス(雄牛の頭)」と名付けられたそうです。
特徴
- 人喰い馬で乗りこなせれば世界を支配できると神託されていた伝説がある
- 唯一、アレクサンドロス3世だけが乗りこなすことができた
- 「アレクサンドリア・ブケパロス」という都市名の由来になる
ヒュダスペス河畔の戦いで戦死したと言われ、その戦いに勝利したアレクサンドロス3世はブケパロスを丁寧に埋葬し、都市の名前を「アレクサンドリア・ブケパロス」とブケパロスにちなんだ名前にしたそうです。
都市の由来になるほど、愛されていたと考えられています。
以前書いた記事です。合わせてご覧ください!
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブケパロス
三国志の英雄たちが愛した馬:赤兎馬
中国史でもっとも有名な馬といえば、三国志の英雄たちが愛した「赤兎馬」です。赤い毛を持ち、兎のように素早いことから赤兎馬と呼ばれるようになったと言われています。
三国志では、呂布が乗っていた馬とされ「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と賞されたそうです。三国志演義では董卓→呂布→曹操→関羽→馬忠と名だたる英雄たちに所有されてきました。
呂布、関羽に関連するエピソードが豊富で特に関羽が亡くなった後、馬忠に所有が移った際に、赤兎馬は餌を食べなくなり、死亡したと言われています。
特徴
- 三国志を代表する英雄たちに所有されてきた
- 一説によると汗血馬だったと言われている
- 小説「水滸伝」にも名馬として登場している
血のような汗を流して走る馬と言われる汗血馬だったとも言われ(もしくは汗血馬をイメージして三国志演義の赤兎馬が作られた)中国を代表する名馬として語られ続けています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/赤兎馬
英雄ナポレオンの愛馬:マレンゴ
英雄ナポレオン・ボナパルトの愛馬で、上記の名画「アルプス越えのナポレオン」でマレンゴの名前を知らなくても見たことがある方は多いと思います。
名前の由来は1800年に発生したフランス軍とハプスブルク君主国の戦いである「マレンゴの戦い」にちなんで付けられたと言われています。
並外れた名馬だったと言われ、足が速く、戦場の喧噪にも動じず、かなりの距離を走破したと言われています。ナポレオンと共に様々な戦場を駆け、ナポレオン最後の戦いである「ワーテルローの戦い」にも参加しています。
特徴
- 戦場に相応しい素晴らしい名馬だったと言われている
- 8度の戦傷を負いながらもナポレオンと共に戦場を駆け抜けた
- 骨格がイギリスの国立陸軍博物館に収蔵されている
英雄の愛馬に相応しく、8度の戦傷を負いながらも最後までナポレオンと共に戦場を駆け抜け、ナポレオンが敗北した後はイギリスに引き取られ種馬として利用され、38歳まで生きたそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/マレンゴ
名将リー将軍の愛馬:トラベラー
トラベラーは、1861年~1865年の間で発生したアメリカ南北戦争の南部連合の軍司令官ロバート・E・リーの愛馬です。リー将軍はアメリカ史上屈指の名将として評価が高い人物です。
1861年にリー将軍に購入されたそうで、非常に体格に優れ賢さと体力を併せ持った理想的な軍馬だったと言われています。
特徴
- 名将の愛馬に相応しい理想的な軍馬だった
- リーの葬式に参加後、翌年破傷風で死亡
- ワシントン・アンド・リー大学に埋葬されている
リー将軍の名前にちなんで付けられたワシントン・アンド・リー大学に埋葬されており、リー将軍は当大学で学長として勤めていたそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/トラベラー (軍馬)
バロン西の愛馬:ウラヌス
ウラヌスは1932年に行われた「ロサンゼルスオリンピック」の馬術大障害飛越競技で金メダリストを取得した西竹一日本陸軍大佐の愛馬の名前です。
ウラヌスは西がイタリアで自腹で購入した馬で、非常に気性が荒く西以外は誰も乗りこなせなかったと言われています。西との相性は抜群だったようで、オリンピック馬術競技で日本が唯一取得した金メダルとして記録されています。
西は金メダル取得時のインタビューで「We won.(私とウラヌスは勝った)」と語り、その人間性や高い技術力から欧米の上流階級の名士が集まる社交界で人気となり「バロン西」と呼ばれ非常に人気があったそうです。
特徴
- 日本唯一の馬術大障害飛越競技で金メダルを獲得した西の愛馬
- ウラヌスと共に欧米の社交界で人気となる
- 西の死亡後に後を追うように破傷風で死亡している
西は戦争が激化する中で最終的には硫黄島に動員され、死亡。どのように亡くなったかに関しては諸説あるそうで、詳細はわかっていないそうです。
「自分を理解してくれる人は少なかったが、ウラヌスだけは自分を分かってくれた」と生前に語ったと言われ、ウラヌスと心から通じあい、かなり特別な感情があったと思われます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/西竹一
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウラヌス (競技馬)
まとめ
英雄たちが愛した名馬たちいかがだったでしょうか?
今回は歴史的英雄と馬というテーマで書きましたが、今後も別の切り口で歴史の偉人や英雄たちを書いていきたいと思います。
それでは本日はこの辺で、失礼します!