歴史に輝く無駄にカッコイイ二つ名・異名【三国志・呉編】
今回の二つ名・異名ネタは前回・前々回に引き続き三国志編。
今回は三国志演義では中心として描かれる「三国志・蜀編」をお送りします!
異名 【イミョウ】
1 本名、本来の名称以外の名。一名。別名。異称。いめい。
2 あだ名。いめい。「大酒飲みで、うわばみの―をとる」
出典:デジタル大辞泉
三国志・呉のカッコイイ二つ名・異名集
碧眼児:孫権
孫権(そんけん)
229年~252年
呉の初代皇帝であり、三国志では呉の中心人物。
兄:孫策が若くして亡くなったためにその後を継ぎました。
異名の「碧眼児」は三国志演義のみの創作上の異名です。
蒼い眼を見て父親である孫堅は将来を期待したとされています。
三国志はどうしても曹操と劉備の物語という感じがしてしまい何となく地味なイメージですが、亡き父と兄の意思を継ぐなど個人的には凄く好きです。
どのような意図で蒼い眼を持つ人物になったかは不明ですが、目の色が独特というのは英雄の条件なのかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/孫権
小覇王:孫策
孫策(そんさく)
175年~200年
孫堅の息子で孫権の兄である武将。
親友である周瑜と共に呉の基礎を作り上げた人物。
周瑜との友情は「断金の交わり」として有名。
断金の交わりとは非常に強い友情を表す言葉として使われます。
異名の「小覇王」は三国志演義で作られた創作上のものです。
その勢いを西楚の覇王を名乗った項籍(項羽)となぞらえて付けられた異名です。
「江東の小覇王」とも呼ばれます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/孫策
美周郎:周瑜
周瑜(しゅうゆ)
175年~210年
生涯に渡り孫一族に仕えた武将。
孫策との友情で知られ、共に呉の礎を築いた人物。
知略・武略・イケメン・音楽の才能ありなどのチート人物。
異名の「美周郎」もイケメンを表す言葉であり、三国志の中でも屈指のイケメンです。
嫁さんも美人で有名だったようなので、まさに完璧超人。
惜しむべきは若くして亡くなっているので、健康面だけが唯一の欠点でしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/周瑜
呉下の阿蒙:呂蒙
呂蒙(りょもう)
178年~219年
孫策・孫権に仕えた呉を代表する武将のひとり。
若い頃は武勇バカだったが、後に猛勉強の末に高い教養を得た人物。
阿蒙とは「蒙ちゃん」的なニュアンスで、呉下の阿蒙とは「呉下に居た時の蒙ちゃん」という感じです。
魯粛が呂蒙の高い教養を感じ取った際に「呉下の阿蒙あらず」と驚いたそうです。
それに対して呂蒙は「※士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」と返したそうです。
※日々鍛錬している者は三日もすれば見違えるほど変わっている。転じて先入観にとらわれずに物事を見よ的な意味合いです。
呉下の阿蒙とは成長しない人に対する蔑称として現代では使われています。
また関羽と同じくGoogle画像検索がひどい感じになっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/呂蒙
錦帆賊:甘寧
甘寧(かんねい)
生没年不明
孫権に仕えた武将で、非常に武力に優れていたと言われています。
孫権が「曹操に張遼、私には甘寧がいる」と言ったほど。
異名は三国志演義に登場する創作上のものです。
孫権と出会う前に「錦帆賊」という水賊を組織していたことから。
また別の異名に「鈴の甘寧」というものがあります。
身についている鈴の音から、鈴の音が聞こえると甘寧が居ることがわかったそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/甘寧
まとめ
無駄にカッコイイ二つ名・異名【三国志・呉編】いかがだったでしょうか?
僕は呉の中では魯粛が好きです。
これも「蒼天航路」の影響だと思われます。
魅力的な異名を持つ人物が三国志には多いので、またまとめるかもしれません。
とりあえず今回で一旦、三国志編は終了です。
よろしければ、魏編・蜀編もどうぞ!