食品と歴史【戦いと共に誕生・浸透した食品たち】
今回は食品と歴史をテーマに記事をお届けします。
戦いのために誕生した食品。とある事件と共に広まった食品などなど…今回は5個の食品を紹介していきたいと思います。
戦いと共に誕生・浸透した食品たち
壊血病とザワークラウト
ザワークラウトとは「キャベツの漬物」のことです。西洋圏では非常にポピュラーな食べ物で肉料理などの添え物として使われます。
実はこのザワークラウトは数多くの海の男たちを救ってきた食べ物なのです。16世紀から18世紀にかけての大航海時代において壊血病は海賊以上の恐怖でした。
- 壊血病はビタミンCの欠乏によって発症する病気
- 脱力・体重減少・鈍痛・皮膚や粘膜からの出血
- 最悪死に至る病として恐れられた
実際にヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見の航海時には船員180人中100人が壊血病で亡くなっています。
1753年にイギリス海軍省のジェームズ・リンドは「柑橘類と新鮮な野菜の摂取」によって壊血病が防げるとして、予防と治療を奨励しました。
しかし、航海時に新鮮な柑橘類や野菜の入手は難しく、その際に船員に与えられたのが「ザワークラウト」なのです。
ザワークラウトは海の男達の健康を守り大航海時代を支えたのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ザワークラウト
海の男たちとラム酒
ラム酒の誕生には諸説あるようですが「砂糖・銃・奴隷の三角貿易」とは切り離せないようです。カリブ海の島で作られ、海賊や海軍を象徴する酒となっています。
海の男たちが酒を飲むにはいくつか理由があります。
- 船上の数少ない娯楽として支給された
- 船上では水が貴重なためその代用品として
- 緊急時の気付けとしてなど
様々な用途でラム酒は利用されていたようです。ラム酒以前はビールが振る舞われていたようですがより安価なラム酒に取って代わったようです。
ラム酒と海の男達の伝説として「ネルソンの血」というものがあります。
これは1805年のトラファルガー海戦で戦死したホレーショ・ネルソン提督の遺体を本国に持ち帰るために、腐敗防止としてダーク・ラムに遺体を漬けたというものです。
以降ダーク・ラムのことを「ネルソンの血」と呼ぶようになったという伝説です。
ネルソン提督の伝説や船上でのラムの必然性からラム酒は海の男達の酒になったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ラム酒
ナポレオンと缶詰
少し前まで保存食といえば缶詰でした。現在はより軽量なフリーズドライ製品やレトルト製品に変わってきていますがまだまだ現役と言える保存食です。
この缶詰ですがナポレオン・ボナパルトの求めによって誕生しました。ナポレオンは軍隊の食糧の供給を問題視しており懸賞金を掛けて保存食の開発を行ったそうです。
缶詰は1810年にイギリスのピーター・デュランドが考案したとされ、いわゆるレーション(軍用食)のさきがけとなるものでした。
アメリカの南北戦争で軍用食として数多く利用されたそうです。その後、一般にも災害時や緊急時の保存食として発展・浸透していったそうです。
ちなみに、缶詰の誕生が1810年。缶切りの誕生は1858年です。
缶切り誕生までは銃剣などでこじ開けられており、刃先の破損などが問題になったそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/缶詰
ナチス・ドイツとファンタ
ファンタは日本でもお馴染みのコカ・コーラ社が販売する炭酸飲料です。
このファンタの誕生とナチス・ドイツに実は関連性があることをご存知でしょうか?
コカ・コーラ自体はドイツで非常にポピュラーな飲み物だったそうで、第二次大戦中も広くドイツ国内で飲まれていたそうです。
- コカ・コーラの原液を輸入できなくなったため
- ヨーロッパ文明への脅威としてナチスがコーラを敬遠したため
このような理由から国内での製造が行われるようになり、完成したのがファンタなのです。
戦中のドイツは物資がないのでリンゴジャムとチーズの製造工程中に生じる副産物から開発・製造されたそうです。
ナチスは「なければ作ればいいじゃない」的な発想で人造石油・合成ゴムなど数多くのものを開発しています。必要は発明の母といったところでしょうか。
ちなみに、ファンタの名称の由来は「ファンタスティック(素晴らしい)」、「ファンタジヴォル(想像力に富んでいる)」から来ているそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファンタ (飲料)
あさま山荘事件とカップヌードル
カップヌードルは日清食品株式会社が1971年から販売をしているカップ麺の元祖であり、現在も愛されているロングセラー商品です。
このカップヌードルの開発者はチキンラーメンと同じく安藤百福。紙コップで食べることが出来るラーメンとして発案されたそうです。
カップヌードルは当初販売に苦労をしたそうです。
- 支流だった袋麺よりも値段が高かったため
- 新スタイルの製品のため販売店が難色を示すなど
「簡便性」「完全調理済食品」という点に目を付けた自衛隊が最初の大型顧客だったそうです。一種のレーション的な扱いを受けたのだと思います。
そんなカップヌードルが世間で広く認知されたのは「あさま山荘事件」です。
1972年2月19日から2月28日にかけて長野県北佐久郡軽井沢町の浅間山荘で発生した立てこもり事件時に、機動隊員たちがカップヌードルを食べている様子が放送されました。
冬の長野なので弁当も凍ってしまい、熱湯で簡単に食べることが出来るカップヌードルは携帯食として非常に重宝したそうです。
この一件以来、知名度が飛躍的に向上。
現在では保存食の枠組みを超えた携帯食として広く愛されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/カップヌードル
まとめ
食品と歴史【戦いと共に誕生・浸透した食品たち】いかがだったでしょうか?
戦争と人類史が分けられないように、食と戦争も密接な関係にあります。
今後も歴史と食をテーマに記事を書いていきたいと思います。
それでは本日はこのへんで失礼します!
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